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2020.12.20

研ぐ

ここ最近、
いろんなミュージシャンと会うことも多かった。
久しぶりに会う、そんな人たちとは、
やはり、
「最近どうしてた?」
「これから、どんな感じに?」
という話しになる。
最終的には、そういった話しに、確固たる返答ができず、
よくよく、自身にたずねてみても、
今までのことはもう過ぎたこと、
そしてこれからのことは、まだ、
空を掴むように想像でしか話せない。
・・と。
そうなんだよなぁ。
具体的に見えてないことは、誰もが具体的には話せない。

一方、
具体的な話しで、なるほど面白いなぁと思ったことは、
それぞれ、何人かのミュージシャンが、同じように、
「即興的なことやアドリブ的なことが、
この期間で、なんか衰えた気がする。
やっぱり、ライブをやってないと抜け落ちてゆく感や、
技術やパフォーマンスがある」
というような話しをしていることだった。

ライブを重ねている期間には”冴えている感”みたいなものが、
ライブを失ってしまった期間に、衰えてしまったと感じる・・・
そんな話し。

ほんと、とてもよくわかるなぁ・・と思った。
・・とも思いつつ、
けれど、
自分に置き換えてみた時、
なんだかんだ言って、自分は、この”コロナ過”という期間、
恵まれていたんだなぁとも思った。

この期間、行き当たりばったりの計画も多々あったけれど、
シンガーソングライター西広ショータとやっていた『ぶらりふたり放浪記』
というユニットに限っては、ライブをしたり配信をしたり、
トークをしたり、アイデアを絞りながら歩みを続けてはきた。
その、
『ぶらりふたり放浪記』のステージやトーク、配信、全てにおいて、
自分らならではの自由さを求めて、
多くの、即興、突然の変更、ステージ上での無茶ぶりあい・・(笑)
などもあって、
どちらかと言えば、そのアドリブの部分に対応できるように、
少しずつ勉強や体験をして、成長できた期間だったかなぁ・・と・・
そんなことを思ったのだった。

そして、その活動で無意識に体の中に育っていった精神状態は、
自分自身の配信ライブなどにもつながっていたと思う。

例えば、
自身の曲作りにおいても、
この期間、もう、
「染谷俊らしくなければならない」みたいなボーダーラインはほぼなく、
「伝えたい」と思うこと、「いいなぁ」とワクワクしたメロディー、
曲の構成などどうでもよく「残しておきたい」と思う気持ち、
「昨日まではこっちだったけど、今日は、こっち」
そんな衝動で書くような歌作りをしてきた。
そこも、
“アドリブ性”というところに結びついていく、
なんらか、新しい自分自身の創造への日々精進だったようにも思える。

なにやら、言葉にすると、小難しい定義ですが、
とにかく、
まぁ、これからも、
歩みの中で、成長していけたらなと思う。
停滞の中での成長は、なかなか難しいよ。
そして、
成長は、きっと、武器だ。
錆びつく前に、磨き続けなければと思う。
錆びつくなぁと思ったら、
自身で動いていかなきゃ・・なのだと思う。

女優の戸田恵梨香さんのインタビューを、ふっとテレビをつけた時、観た。
「・・こういった変化が止まらない世界の中で、
・・自分自身も、変化し続けなければと、努めていきたい」
みたいな話しをしていて、
かっこいいなぁと思った。
変化をおそれもしない、
楽しんで、
できることなら、
その変化よりも、
鮮やかに飛びいでてカッコいい”参上”を
繰り返したいものだなぁと、思う。

                    ☆

買い物に出た足で、ざくざくとイチョウの落ち葉を踏んで、
帰ってきて、お蕎麦を作って食べた。

買い物では、「酒のおつまみ」に調理できるものたちを買った。
オイスターソースや、ピザソース、青のり・・などなど、
調味料なるものたちも買った。
年末年始へ向けて、
頭の中のイメージは、「こもり」だ。
本や映画にまみれて、
曲作り、物作り、技磨きにでも精を出してもよかろーもんと
思っていたりする。