朝起きて、
顔を洗って、お湯を沸かして、ゆで卵を5つ作った。
ゆで卵を作る時、
いつもビードローズの佐藤ワタルを思い出す。
もう何年も前、ワタルたちと行ったレコーディング合宿。
ねぼすけな自分がダラダラ起きてくると、
キッチンスペースでは、毎日ワタルがゆで卵を作ってくれていた。
すげぇな、こういう人のことを素晴らしい人っていうんだよなぁと、
毎日、ボケーっとした朝頭の中で思っていた、あの時のこと。
これからも、何年も何十年も、
ゆで卵を作る時、ワタルを思い出すんだろうと思う。
最近は、寝起き、顔を洗ったついでに、
本をペラペラとめくる。
買っておいて読んでない本がいっぱいの本棚。
それを一冊一冊完読しよう・・なんて思いが全く湧いてこず、
なんとか、チラチラぱらぱら、もったいなくて読んでみよう、
いや、読まなければ・・という感じ。
その日気になった本をつまみ出して、
目次を読んで、気になるところをめくって読む。
しかし、
そんなグレた読み方でも、逆に、小枝が岸辺にひっかかるように、
心にひっかかる文章や言葉もあるもので・・
長編小説完読では味わえない感覚。
そして、
日々にひょいひょいと顔を出すのは、
そんな、つまみ読みした言葉や思想だったりもする。
今日は、村上春樹さんが、
小説家の自分について綴っている本を読んだ。
30ページほど。
執筆に対する規則性と、心持ちにしている自由、
そんなところを読んだ。
それにしても、こうして本を読む時、
洗面所の前に立って、ぱらぱらと立ち読みをするんだけど、
たまに、その本を部屋に持ってって、
窓を少し開けて、ソファーに寝っ転がって、
ほぼ何もない音の中で本を読む時、
とっても、幸せな気持ちになる。
窓からは、ベランダの向こう、
ほんのわずかな木々の葉っぱが擦れ合う音だったり、
道の向こうを通り過ぎる車の音だったりが聞こえてきて、
その、ほぼ自然的な静寂の中で読む言葉たち。
なんか、音符のように胸に沁みてきて、
心地よき。
こういう時間がずっと続けばいいな・・なんてことを、
「ていほうらく」な自分は、思ってしまったりする。
さて、パソコンの前に座っていたら、あっという間に昼すぎだよ。
今日は、少しばかり、日差しがさしている。
夕方には、また台風の影響で雨粒が舞うらしいけれど。
空がごきげんなうちに、日用品を買いに、
久しぶりに外へ出よう。
なにやら、
怪しげな強風が、ふぉーふぉー、ひゅーひゅーと、
この街に吹き始めているけれど・・・。
※
「ていほうらく」なんていう言葉をしれっと書いたけれど、
ネットで調べたらそんな言葉はどこにもなかった。
無精者とか、ものぐさ太郎とか、
世捨て人気質的なことを言葉にしようとしたのだけれど・・。
ま、いーや。
言葉なんて、はじめっからなかったものか、
当て字にしたものか、どっかから盗んだり真似っこしたものばかり、
自分で作るぐらいが、
サイコーに、ふつーだ。