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2022.7.5

ていほうらく

朝起きて、
顔を洗って、お湯を沸かして、ゆで卵を5つ作った。

ゆで卵を作る時、
いつもビードローズの佐藤ワタルを思い出す。
もう何年も前、ワタルたちと行ったレコーディング合宿。
ねぼすけな自分がダラダラ起きてくると、
キッチンスペースでは、毎日ワタルがゆで卵を作ってくれていた。
すげぇな、こういう人のことを素晴らしい人っていうんだよなぁと、
毎日、ボケーっとした朝頭の中で思っていた、あの時のこと。

これからも、何年も何十年も、
ゆで卵を作る時、ワタルを思い出すんだろうと思う。


最近は、寝起き、顔を洗ったついでに、
本をペラペラとめくる。
買っておいて読んでない本がいっぱいの本棚。
それを一冊一冊完読しよう・・なんて思いが全く湧いてこず、
なんとか、チラチラぱらぱら、もったいなくて読んでみよう、
いや、読まなければ・・という感じ。
その日気になった本をつまみ出して、
目次を読んで、気になるところをめくって読む。
しかし、
そんなグレた読み方でも、逆に、小枝が岸辺にひっかかるように、
心にひっかかる文章や言葉もあるもので・・
長編小説完読では味わえない感覚。
そして、
日々にひょいひょいと顔を出すのは、
そんな、つまみ読みした言葉や思想だったりもする。

今日は、村上春樹さんが、
小説家の自分について綴っている本を読んだ。
30ページほど。
執筆に対する規則性と、心持ちにしている自由、
そんなところを読んだ。


それにしても、こうして本を読む時、
洗面所の前に立って、ぱらぱらと立ち読みをするんだけど、
たまに、その本を部屋に持ってって、
窓を少し開けて、ソファーに寝っ転がって、
ほぼ何もない音の中で本を読む時、
とっても、幸せな気持ちになる。
窓からは、ベランダの向こう、
ほんのわずかな木々の葉っぱが擦れ合う音だったり、
道の向こうを通り過ぎる車の音だったりが聞こえてきて、
その、ほぼ自然的な静寂の中で読む言葉たち。
なんか、音符のように胸に沁みてきて、
心地よき。
こういう時間がずっと続けばいいな・・なんてことを、
「ていほうらく」な自分は、思ってしまったりする。


さて、パソコンの前に座っていたら、あっという間に昼すぎだよ。
今日は、少しばかり、日差しがさしている。
夕方には、また台風の影響で雨粒が舞うらしいけれど。

空がごきげんなうちに、日用品を買いに、
久しぶりに外へ出よう。
なにやら、
怪しげな強風が、ふぉーふぉー、ひゅーひゅーと、
この街に吹き始めているけれど・・・。




「ていほうらく」なんていう言葉をしれっと書いたけれど、
ネットで調べたらそんな言葉はどこにもなかった。

無精者とか、ものぐさ太郎とか、
世捨て人気質的なことを言葉にしようとしたのだけれど・・。

ま、いーや。
言葉なんて、はじめっからなかったものか、
当て字にしたものか、どっかから盗んだり真似っこしたものばかり、
自分で作るぐらいが、
サイコーに、ふつーだ。