染谷 俊
Shun Someya
1968年2月22日生まれ。東京都出身
物心ついた頃からピアニストとしての英才教育を受けて育つ。
17歳の時、ラジオから流れてきたロックンロールに衝撃を受け、自分自身の歌を創ることに目覚める。
音楽大学ピアノ科に入学し周囲の期待を背負うが、強い反対を押し切り、卒業後はクラシックではなく自らの歌を歌っていくことを決意。
1993年、EPIC SONYより「崖っぷちの少年」でデビュー。
自分の体の一部とも言えるピアノを封印。ギターに持ち替え、どこまでも蒼く、痛々しいほど胸に響く言葉たちに彩られた 4枚のアルバムを発表。
『愛にあいたかった』『僕のたくらみ』『僕の両手』『マーガレット』。そして、ベスト盤『THE BEST“HERE!”』。
2000年より自由度の高い創作活動の場を求めてインディーズへ。
弾き語りライブアルバム『やわらかな革命』リリースを皮切りに、一度は手放した“ピアノ”のとともに新たなる道へ。
鍵盤を叩き、情熱をたぎらせるライヴでの圧倒的なパフォーマンスが、多くの人々の心を惹きつける。
4歳の時から音楽教室に通い、そこでクラシック音楽の恩師と出逢った。
6歳の時から本格的にピアニストへの道を歩み始めた。
正月の何日か以外、毎日8時間から12時間に及ぶレッスンだけが日々の全てだった。
思春期に入り、クラシック音楽世界の持つ保守的な部分と絶対的な秩序性、
そして未来までも決められていた自らの人生の運命に疑問を持つ。
「人形のように生きるしかないのか。決められたレールを行くしかないのか」
生きる意味を考える日々が始まった。
そんなある夜、ラジオから佐野元春氏の『Rock&Roll Night』が流れてきた。
初めて聴いた、クラシック音楽以外の音楽。高校3年生の春だった。
「今夜こそ辿り着きたい」と歌うその言葉に、自分を重ねた。
「自分も、こんな歌を歌いたい。今の僕のような誰かに、
僕自身が悩んだり考えたりして歌う歌を届けたい」
それが、きっかけだった。
しかし、決められていた道を壊すことができず、音楽大学へと進む。
恩師を裏切り、両親を裏切り、家を飛び出したのは20歳前の冬だった。
その後、投げ捨ててしまったいくつもの愛があったけれど、
人生のけじめとして、大学卒業だけはしようと決意。
学年で10数人が選出される卒業演奏で演奏。それが、本当の意味での
クラシック音楽からの卒業、そして、やりたい音楽への旅立ちだった。
RCサクセション、泉谷しげる、尾崎豊、ボブ・ディラン、B・スプリングスティーン・・
様々な音楽に感銘を受け、バンド活動もし、デビューへの夢を追った。
しかし、ピアノだけには手を触れることがなかった。
それが、クラシック音楽と決別した自分への約束だった。
そして、'93年、デビュー。創作し、歌い続ける日々が始まった。
いくつもの出逢いがあった。いくつものことを覚えた。いくつものアルバムを発表した。
やがて、歌うことや歌うべきことに思い悩む混沌の時代がやってきた。
何年かの迷いの季節の後、見つけた答えは、高校3年の時に描いた思いのままだった。
「僕のような誰かに、僕自身が悩んだり考えたりして歌う歌を届けたい」
歌いたい伝えたいという夢は現実になり、それが生きる術となった今、
ぼくにできることは、ぼくの全てでそれに向かっていくことだと気づいた。
そして再び、ピアノを弾き始めた。
歌うこと、奏でること、伝えること。
それに必死で向き合う中、「言葉では伝えきれない音楽」のため、
インストゥルメンタル・ピアノアルバムのリリースもした。
それがきっかけで、ピアニストとしてのサポートメンバーとしての機会も何度かいただいた。
他の表現者の方々に、曲を提供させてももらった。
休止していたピアノを再び奏でること、
そして、歌うこと、伝えること、自分自身の原点との再会、
それを経て、今、ぼくは、また新しい明日へと歩いている。
たくさんの人たちに、道に迷っていたあの時の"僕"と同じような人たちに、
まっすぐな思いを届けていきたい。
笑顔と、明日への夢と、
決してひとりではない、この人生のそれぞれの夢と、愛溢れる日々のために。